これは、ミステリーではありません。
1.神戸
1-1.国立六甲山中・高
秋は現在は東京のW大学文学部に在籍している。
W大に入る前は、ずっと神戸に住んでいた。神戸と言えば百万都市の印象が強いが、何故か街の北側が900mを超える六甲山になっている。
六甲山のロックガーデンには、イノシシ村というものがあり、野生のイノシシ天国となっている。イノシシはイノシシ村だけでなく、山中や街中にも出没する。
秋は、元町や三宮などの繁華街へは、ほぼ行ったことがない。大阪や京都となると、遠足でしか言ったことがない。おっと、遠足で大阪には行かないな。秋の通っていた中学校・高校は国立六甲山中学校・高等学校で、3学年1クラスという、生徒減少に伴う少人数学級のモデルスクールである。毎年小学校を卒業する児童を、10人だけ募集する上に、特に進学校でもないので、一般にはほとんど知られていない。
なぜそんなところに進学したのか?それは祖父の意向で中学になると、国立六甲山中学校に、進学することが決まっていた。六甲山は麓から山頂までケーブルカーがあるが、秋はケーブルカーに乗っことがほとんどない。病気で早退するときぐらいである。自宅から学校まで毎朝30分ぐらい走って通学していた。普通のハイカーは2時間ぐらいかかると知ったのは、かなり後のことである。このためだけに、秋は山頂街の学校に通わされたのである。他の生徒はもれなくケーブルカーを利用していた。当然と言えば当然だが、秋は学校の中では高校生よりも運動能力が優れていた。それが『ギフテッド』だと知ったのはずっと後のことである。
秋は高校2年生の時に脳腫瘍に罹り、手術と化学療法と放射線治療を行い、なんとか一命は取りとめたものの、欠席が長く留年となった。それを機に秋は六甲山高校を退学し、山の下にある進学校の国立東灘女子学院に転校し、2年間通ったのである。秋は柔道の練習が忙しくて、碌に勉強もしなかったのだが、成績は上位であった。不思議である。
柔道場を趣味でやっていた祖父は父がショボかったので、秋を古武術西園寺流の跡継ぎにするつもりだったらしい。中学校3年でやっと柔道の初段の試験を受させてもらえた。中学3年と高校1年の時に全日本柔道大会で優勝している、段位は現在も心身の成長が足りないとのことで、初段のままである。早く2段に上がりたいと秋は思っている。
ここに出てくる登場人物の段位・階級など(いずれも試合直前)
西園寺秋 初段 158cm 52kg以下級
深泥心太 5段 176cm 73kg以下級
下山恵 4段 169cm 72kg以下級
1-2. 深泥家
「兄ちゃん、俺、オリンピックに出たい。なんとかして。」
「アホかお前。私が日本柔道連盟でも無理。今、お前の階級ではどの位置にいるの?」
「3番手か4番手です。上の2人がやけに強いんです。勝つ方法はあるのでしょうか?」
「私はお前のために警察の権力を使って調べた。幸い警視正になって権力が大きくなったからな。勝つ方法はある。もうすぐ大学は夏休みになるが、夏休みになったら、神戸の秋の道場に入門しろ。」
「それで勝てるんですか?」
「多分勝てる、秋も立夏と同じく『ギフテッド』だ。格闘技の才能があることは判っている。柔道は才能とぴったり合っているんだ。しかも優勝とかにはこだわらない。2度全日本で優勝しているが、あまり出たくないらしい。
「弱い者いじめしとるみたいで、気が重い。」
と言っているらしい。だから見込みのある選手を鍛えて、その人相手に戦っている。それでも適当な相手がいなくなって、子供相手に柔道教室を開いている。その子供が大きくなった時、自分の相手にするつもりだろう。大学が長期休みの時だけらしいけど。」
「秋は俺より強いのか?」
「多分、いや。ほぼ、いや、確実に間違いなくお前より強い。100試合やったら秋が100勝する。」
「なぜ、そんなことがわかるんですか?」
「秋の弟子は、多村、埜村、湖賀 西塔、下山、の5人しかいない。」
「西塔さんや下山さんなんか体重が100kg以上ある。自分の2倍もある人とどうやって戦うんです?」
「さあ?知らん。ところでお前、現役のこの人たちに勝てるか?」
「全員金メダリスト、しかも2個以上取ってる。無理、絶対に勝てない。いや、勝てないまでも勝負になるぐらいには....そうありたいと.....」
トコちゃんはしばらく考えたが、
「判った兄ちゃん。可能性があるならそれに賭けてみる。」
トコちゃんの後ろ姿にスカイはそっと手を合わせ、小さい声で言った。
「何で5人しか弟子がおらんのかわかってないな。生きて帰ってくるのだぞ。弟よ。」
1-3.トコロテンは西園寺流に入門する
トコちゃんはオリンピック出場のためには、スカイの言う通り、秋の道場で練習するのが一番いいのではないか、と思っていた。
「知り合いにいい人が居たものだ。」
と思ったのはかなり甘かったのだ。
トコちゃんは考えた。秋はオリンピックには出ないのだろうか?実力からすれば、確かに日本一というか、だいたい、西塔さんや下山さんに勝つ女子選手なんていない。秋の体重は50kgぐらい身長は158cmと言っていたからBMIが20(標準22)ぐらい、決して太い体型ではない。体重が絶対有利の格闘技においては、強くないはずなのだが、秋はそうではない。夏休みに秋が実家に帰った時に、長期休暇を取ってついていくことにした。
なぜか立夏もついてきている。
「だって面白そうなんだもん。」
立夏の両親は今はニューヨークに住んでいる。帰るのが邪魔くさいらしい。
「秋のおとうさんとおじいさん、東京にも道場作るから、秋と一緒にここを実家にしといて。」
「なに!!!そんなにおいしい話があるんか!もちろんOKに決まっとるやないか!かわいい娘が増える上に、東京の道場までできるとは....。ワシは大五郎、これは紋次郎。名前なんか適当でええからな。ひとりだけで来てもええからな。」
「それやったら新橋の九条土建のビルに、道場を作るわ。あのビル、人が少ないのに無駄に大きいからどうにかなるやろ。」
立夏は電話を掛けていたが、
「20階以上やったらええらしいから、最上階に作ってもらうことにするわ。」
「そのビル何階建てやのん。」
「確か、50何階かと言うとったな。走って上り下りするにはちょうどええ。子供らはエレベーターもあるし。」
続いてトコちゃんが言った。
「お父さん、実はお話があるのですが。」
「お前に『お父さん』と呼ばれる筋合はあらへん。」
「そんなこと言わずに、僕の話を聞いてください。」
「ダメや。秋が大学を卒業してからまた来い。」
「いや、そういうことではなく」
「秋のことを考えるんやったら、学生結婚はダメや。」
「秋のことを考えるんやったら、学生結婚はダメや。」
「だから、そういうことではないって言っているでしょう」
「まさか、妊娠したとか。おのれ、絞め殺すぞ!」
「秋さんと....」
「やかましいわ」
「....したいんです。」
「よくも俺の前でそんなことが言えるな!じじい、こいつを絞め殺せ。」
横からじっちゃんが口を出してきた。
「紋次郎、その男、お前より強いぞ。そういや、お前さん、どこかで見たことがあるで。」
「警察庁の、深泥心太と申します。柔道をやってるんですが、その一環として西園寺流を教えてもらいたくお伺いいたしました。」
「思い出した。万年3位の奴や。そうか、若いの、今どき珍しい心がけや、しかし。今、西園寺流を使えるんは、秋だけやから、秋に頼んでくれ。ただ、ひとつ言っておく。秋の練習は尋常なく厳しいねん。誰から聞きつけたか、入門希望者もたまにおるんやけど、大抵は半日もたずに逃げてしまうねん。なんとか頑張れたんは5人しかおらへん。もしかして死んでも化けて出て来るなよ。そいつらは秋のことを師匠と呼ぶが、ワシのことは、じいさん、じいじ、じじい、おいぼれ、もうろく、としか呼んでもうたことがない。お前はわしのことを大師匠と呼べ。そうしたら、秋との結婚を認めてやってもええ。」
「いやいや、結婚のお許しに来たのではないのですが....」
翌日から練習を始めることになった。
、
1-3.西園寺流のジョギング
二人は道場の前に立って、立夏がそれを見ている。
「では、深泥さん、とりあえずは柔道と共通するあたりを主に練習しましょう。」
「はい、師匠」
「練習は3時まで、それからちびっこ柔道、その後は夜間乱取です。まず、朝食前に軽~くジョギングして目を覚ましましょう。私について走って下さい。では、スタートしま~す。」
走り出すと秋は速い。トコちゃんは置いていかれそうになる。そういえば鳥取砂丘の競走の時も秋は速かったなぁ。ふと見上げると山のはるか上に、鳥居らしいのがちらちら見え隠れするが、まさかあそこまで登るんじゃないだろうな。やっぱり登るんか。1回目は何とか登ったが、2往復目はもう足が上がらん。トコちゃんは走り終えて、道路の端に座り込んだ。
「ようやく終わったか。」
「こんなジョギングで、なにを弱腰になっとるんですか。終わったと思ってませんか?さあ、軽~く、3往復目行きますよ!」
「秋、性格が変わっとる。立夏に似てきたぞ。」
「弟子ができて嬉しいねん。」
秋が走り出す。トコちゃんは必死で追いかける。
「秋ちゃん、最近、見んけど何しとんのん?」
と近所のおばさんが声をかける。トコちゃんは遥か後ろ。秋は立ち止まって、
「東京の大学に進学してん。」
「秋ちゃん、体は大丈夫なんか?」
「おかげさまで、元気になりました。」
「秋ちゃんはええ娘じゃ。ところで、神戸オリンピックに出えへんのんか?」
「え~無理じゃないかなぁ。私より強い人たくさんいるみたいやし~。」
「秋ちゃんのお弟子さんはみんな金メダル取っとるんやろ?」
「それは、本人の頑張りですよ。」
「秋ちゃんやったら軽~く金メダルや思うんやけどなぁ。」
「あっ、新弟子が追いついてきたんで、そろそろ行きますわ。」
「そうか、それじゃまたな。がんばるんやで。」
「ありがとう、おばちゃん。」
このペースで走って世間話ができるんか!ほんまにジョギングのつもりか。世間話が終わって山登りになる。道は車が通れる幅があるだけで、ほぼ登山道じゃないか。
ほうほうの態でスタート位置までもどると、
「今日はこのぐらいで朝食にしましょう。」
と秋が言った。
「こいつは化け物か!なんちゅう体力。」
道に座り込んだまま、トコちゃんは思うのであった。
1ー4.西園寺家
「あ~き~ちゅん。」
「出たな。いらんときに。神戸オリンピックの予想でもやるんか? 」
「そんなんしませんがな。柔道はあきちゅん一択でしょう。」
「誰が『あきちゅん』や。」
「あきちゅんが負けるわけないでしょう。人間の反射速度より速く動けるなんて、本気ならやりたい放題でしょう。」
「そこは手加減しとるがな。反射速度より速く動いたらよく見えんらしいから。それで今日は何の予想をしてくれるんや。」
「私は犯罪専門なんですわ。時々外すこともありますけど、あんな競馬予想に毛が生えたようなんと一緒にしてもろても困ります。」
「そやけど、犯罪なんか起きてないで。」
「これから、六甲山で連続殺人が起こります。一見犯人に見える人がいますが、最後には真犯人に殺されるかも知れません。この事件の鍵は『立夏ちゅん』です。『立夏ちゅん』によろしく。」
「....というとった。『立夏ちゅん』、よろしく。時々六甲山へ行ってみてな。」
「誰が『立夏ちゅん』やねん。秋の予知夢は事件を作るんか?」
「『立夏ちゅん』が事件の鍵らしいねん。はずれも多いから。まあ、嘘7割というところで。」
「お父さん。あの若い男は大丈夫でしょうか。」
「オリンピック候補らしいから、頑張って欲しいのう。」
「生きて秋の練習に付いていけたら、金メダルは当然やからな、それだけでは秋はやれん。最低でも金メダル2個、または、ワシに金メダルを差し出すことやな。」
「湖賀君も下山君も、秋の練習に耐えた者は世界一になっとるからのう。」
「秋はオリンピックには出ないんでしょうか。」
「あんまり興味がないみたいや。前も全日本柔道をテレビで見とったら『下手~』と言うて部屋に戻ってしもた。だからまだ初段や。」
「秋は全日本を2回優勝してますからね。もう十分じゃないんですか?」
「ワシとしては、オリンピックに出てほしい。次は神戸オリンピックや。日本のためにではない。ワシのために出てほしい。ワシは金メダルが欲しいんや。」
「金メダルが欲しいんやったらあんたが出なさいよ。」
「65歳以上の部があったら出とるわ。誰がいつ死ぬか判らんような、スリリングなオリンピックになるやろな。」
「お父さん。全日本の県予選の申し込みまだ間に合いますよ。勝手に申し込んじゃいましょうよ。」
「秋が怒ったらどないすんねん。柔道やったらワシは勝たれへん。喧嘩なら西園寺流を使われて、運が良ければ天国や。」
「運が悪けりゃどうなるんです?西塔さんと下山さんを呼んどきましょか。」
「秋が本気になったら、西塔君も下山君も勝たれへん。あの娘は太平洋戦争以降では男女を問わず最強や。」
「太平洋戦争以降いうて、あんたが知っとう限りではと言う意味か!その中にあんたも入っとるんやで。」
「だから、ワシでは勝たれへんと言うとうやんか。」
3.西園寺道場
3ー1.西園寺道場の1日
西園寺道場では、6時に起床すればすぐにお山の中腹の神社まで、3往復を60分で走る。30分より遅れたら皆でもう1往復が待っている。高度差が400mあるので、秋以外に行けるわけがない。だから毎日4往復している。だいたい、登山道を平地と同じペースで走れる秋がおかしい。
秋は体格も普通の女の子で、食事も取り立ててたくさん食べるわけじゃない。
「秋は練習が好きなんじゃ。自分が強くなって行くのが好きなんじゃ。」
「走るだけでも尋常じゃないんですが....。だいたい、秋より強い選手なんているんですか?」
「秋と呼び捨てにするな。さては、秋を狙っとるな。」
「狙ってませんよ。すでに、世界最強じゃ....」
「うむ、時々、訓練と言うて、有馬温泉まで往復走ったり、イノシシ相手に技の練習をしとるらしい。」
「イノシシとやってみる?六甲山には熊がおらんから。」
「熊がおったら熊と戦うのん?」
「モチのロン。最近は私が近付くとイノシシが逃げていくから練習にならへん。」
「遠慮させて下さい。」
「そんな男に秋はやれんな。」
「だから、結婚を許してもらいに来たんじゃないと、言ってるじゃないですか。」
「私のどこがイヤなの?」
と秋が言った。
立夏が笑いながら、
「ところで、秋はオリンピックに出えへんの?」
「強い相手がおるんやったら、出てもええ。いつも弱い者いじめしとるみたいで、気が重いねん。」
「私が頼んだら出る?世界には強い人がおるかも知れへん。」
「立夏が言うんやったら出てもええ。じっちゃんや親父が頼んでも出えへんけどな。実は、マラソンでも出場が決まっとうねん。何回か訓練のつもりで出てみたら、ジョギングで日本最高記録を出してもてん。ジョギングで優勝したらじじいに金メダルやるわ。」
「ほんまか。ジョギングのメダルでもええ。」
「ジョギングじゃなくマラソンなんですが。」
立夏が言った
「私、朝食食べたら、ちょっと六甲山に行ってくるわ。」
「何しに行くのん。」
「ビーナスブリッジを見に。これから度々六甲山に行くかも知れへん。」
「例のヤツが始まったんか?」
「どうもそうらしい。」
「走った方が早く登れるで。」
「そんなことでけへん。しかし、六甲山登るのん、きついわ。」
「いや、そんなことないけどな。」
山登りしてシャワーを浴びて朝食を食べて8時から午前中の練習が始まる。体幹強化と基礎練習。どこでもやる練習だが、秋が練習を止める。
「トコさん、遅いです。とりあえず今の倍の速度で動くように。最終目標は4倍速あたりを目指します。」
足がつりそうになる。
それから、袖を取った瞬間に技を繰り出す練習。タイミングの取り方。寝技・締め技・関節技の流れ。握力がなくなっていくのがわかる。
相手が先に攻めてきたときの返し技。どこでもやる事なのだが、秋はとにかく速い。見るよりはるかに速い。全身が軋む。
3ー2.昼からの練習とちびっ子柔道
12時になるとシャワーを浴びて昼ごはんになる。1時から練習。
Ⅰ時~2時までは実戦形式で午前中の復習。2時~3時まで秋相手に試合。時々いいプレーの時は投げさせてくれる。
1時~2時の実戦形式の練習でトコちゃんもヘロヘロになる。気を失うと頭を池につけられる。秋は、多少息が切れている程度である。
2時からは1時間試合だが、5分ごとに休憩を入れる。トコちゃんは一瞬で投げられるので、要するに5分間投げ続けられることになる。
下山も最初はこんなんやった。」
と言っていた。
「最強と言われた下山さんでも呼び捨てなんですか?」
「あいつは私の弟子やからな。」
3時になると練習は終わり、一旦クールダウンして3時45分までシャワーを浴びて間食と休憩。秋は立夏と話している。
「秋、トコちゃんはどないや?」
「こないだ、ライバルの動画を見たけど、あれぐらいやったら、ちょろいやろ。金メダイちゃうわ、金メダルとなると、見てないからどうだか。」
「秋はどない?」
「ルールや体重で縛られとう競技柔道では、男でも女でも私に勝つ選手はおらへん。別にルールがなくても負けへんけど。」
3時半ぐらいから、ボツボツとちびっ子が集まってくる。柔道教えるだけで金をとるのも気が引けるが、1回100円を貰うことにしている。保護者には、1回100円もらうけど、最終日に子に返すと説明する。1回100円でも何回も参加すると、結構大きな金額になることを教えて下さいと言う。
練習は、アップ、基本の動き、受け身をした後、基本的な技を教える。基本ができるようになったら、簡単な試合を行う。だいたいこんな練習だが、絶対に厳しいことは言わない。子供たちは楽しいと言っている。たまに泣く子がいて、秋がおろおろしている。
「秋先生、幼稚園の先生にはなられへんで~」
と保護者から声がかかる。幼稚園か小学校の先生になると、思とるんやろなぁ。
「俺の扱いと、えらい違うやんか。」
「トコちゃんも働かんかい。」
「丁寧に、手取り足取り、基本をしっかり教えて下さい。殺気を出すなよ。子供は敏感やからな。」
子供たちの練習は6時に終わって、それから、秋とトコちゃんの試合が1時間続く。トコちゃんは勝てない。悔しくてトコちゃんも必死で応戦する。そして池につけられることになる。
それからシャワーを浴びて夕食である。その後、道着を洗濯し、風呂に入って寝る。
秋もトコちゃんも、東京都に住んでいるので、都予選に出る。秋のじっちゃんは、神戸でやるものと思っていたらしく、ブツブツ不満を並べていた。それでも、孫かわいさで、東京まで応援にきてくれた。秋の父は東京でやることを知っていた。後で聞いたら、立夏が交通費とホテルの代金を出してくれたという。
秋がトコちゃんに言った。
「よく見ときよ。私のとこで何を練習したのかわかるさかい。」
トコちゃんは試合を見ながら訊いた。
「あれは、相手のスキを突くため、わざとゆっくりやってるんですか?それにしては、スキが多いですね。」
「彼らは精一杯戦っている。遅く見えるのは力がついてきてる証拠や。」
「普段の練習なら、なんぼ一生懸命やっても7割の力しか出されへん。練習が終わった後でも歩いて道場を出る。トコちゃんは歩いて道場を出ることなんか滅多にあらへん。トコちゃんは動けんようになったことが何回ある?池に顔を突っ込まれたことが何度ある?ほぼ毎日やったな。トコちゃんは自分の120%の力で練習したんや。差ができて当然や。多少強くなった。都大会ぐらいなら練習通りにやれば自然に勝つ。」
4.再び練習
4ー1.練習に慣れてきた頃
都大会が終わって再び練習の日々となった。ぶっ倒れて池につけられて、強くなったと感じるたびに、練習がきつくなっていく。今まで手を抜いて相手してもらってたのが、よくわかる。山登りが3往復から4往復に増え、体幹トレーニングが倍に増えた。それでも何とかぶっ倒れずに済むようになったのは、かなりの進歩である。たまに金田一が練習に来る。ぶっ倒れて、池に頭を池につけられる。
「おい、金田一こんなんでぶっ倒れるなよ。」
「大丈夫や。世界最強のじっちゃんの名にかけて。」
「あんたのじっちゃんは格闘家と違う。うちのじっちゃんの将棋仲間やと言うとるやろ。」
午前中の基礎練習にも何とかついて行けるようになった。まだ、3倍速だがそれなりに速くなった。金田一は昼過ぎに帰った。
「あいつは昼飯を食べに来たんか!」
寝技の練習が入る。締め技や関節技も一緒に練習する。寝技は1秒以内で形に入る、締め技はまいったが入る前に落す。関節技はゆっくり絞めてまいったをしてもらう。
「湖賀の方が上手かったな」
「湖賀は秋の世界の人間やからなぁ。深泥も普通の人間やのに、負け続けても食らいつく。根性だけは一級品やな。まあ、根性だけやけどな。」
4ー2.秋との試合に負け続ける
基本練習と実戦練習で1ヶ月が過ぎたが、やはり秋には勝てない。組んだ途端に投げられるということはなくなったが、攻め手がない。秋は守りは見栄えしないが、守りが弱い人は勝てないと言っていた。言葉通り秋の守りは堅い。こっちも4倍速で動いてるのに、隙を見せない。秋はおそらく6倍速ぐらいまで軽く守れるのだろう。すると本気の攻撃はどれぐらい?7倍?人間のスピードじゃない。『ギフテッド』か。本当に神様から与えられた力だ。本気で練習すれば、ここまでできるの...か....あかん....また....池....
その頃、池に小さい三葉虫が発生した。絵で見るとともかくも、実際に見ると結構気色悪い。神戸地質大学の安萌剣士(アンモナイト)先生に見てもらったところ、
「やっぱり三葉虫かなあ。どうかと言われても、化石でしか見たことないから、研究者を集めて見せてもらいに来ます。ところでこの池はどう使ってるんですか?」
「練習でぶっ倒れた奴の頭を冷やすのに使ってますが。」
「これからも、その習慣をやめないで下さい。誰かの頭皮に三葉虫の卵が付いていたかも、いや、年代が違うな。」
といって安萌先生は帰って行った。
5.試合
5ー1.全日本選手権
トコちゃんは第3シードである。準決勝までは3倍速で十分戦えた。準決勝の相手はいつも負けている倉田相手だ。しかし高速の投げがうまくいかず、技ありになってしまった。今まで倉田に勝てなかったのがこんなところに出たのかと思った瞬間、トコちゃんの寝技が決まっていた。
「頑張ったらあかん。頑張ったら足が止まる。速い攻撃が出せへんようになる。」
「申し訳ありません。師匠の教えを忘れて去年までのことを思い出してしまいました。」
「トコちゃん、お前は去年までとは違う選手や。決勝の相手の試合を見たやろ。お前とどっちが強い。」
「私です。」
「じゃあ、普通にやれば勝てる。」
「はい。」
トコちゃんは小さく頷くてと決勝の舞台に上がった。
勝負は一瞬だった。右手の袖と右襟を取るとほぼ同時に足で下半身を跳ね上げる。秋が小手指創を投げた『山嵐』は偶然ではなかったんだとトコちゃんは知った。
秋は、
1回戦は一瞬で勝った。
2回戦相手はチョロかった。
3回戦はまたも一瞬だった。
準々決勝はさらっと片づけた。
準決勝の相手は一蹴した。
決勝は期待外れで、秋は不機嫌だった。
「強い選手がおるか思うて期待したけど期待外れやった。トコちゃんの方が強いし面白い。まあ、世界選手権に期待してみよか。」
5-2.西園寺家
「お父さん、あの2人全日本で優勝しましたね。」
「次は世界選手権や。」
「世界選手権でも勝ったらメダルがもらえますよ。」
「オリンピックの金色のが欲しいんや。 」
「あれは、金メッキやという噂がありますよ。誰かの金メダルのメッキが剥がれ落ちたらしいですが。」
「取り替えてくれるんやろ?」
「そりゃそうでっしゃろ。」
「替えてくれんかったら、立夏ちゃんに言うてオリンピック委員会にミサイルを打ち込んでもらう。」
「戦争になりますよ。ところで、秋は金メダルを本当にくれるんですか?」
「泣いて頼んだら何とかなるやろ。」
「70になって、泣き落としですか?怒ったらどうしますのん?」
「逃げる。自分より強いのん相手にできるか。金メダルより命が大切や。」
「秋は走るん速いですよ。オリンピックに出れるぐらいには。」
西園寺家の池の見学に日本古生物研究協会が20人ほどやって来た。
「三葉虫かどうか写真や動画だけじゃわかりにくいので、賛否織り交ぜ見学に来ました。」
池で泳いでいる三葉虫の大きなものは5cmぐらいに育っている。
「この間は2cmほどでしたので、育ってますね。」
「はい、育ってます。」
「う~む。私は否定派だったが、確かに三葉虫に見える。今まで化石でしか見たことがないから何とも言えん。しかし、今は三葉虫であって欲しいと思っている。」
「水槽がありますので、何匹か持って帰りますか?全部持って帰ってもいいですが。」
神戸地質大学には三葉虫展示館ができた。
5-3.全日本柔道選手権大会
「噂で聞いたんやけど、無差別級で試合があるねんて?」
秋がトコちゃんに聞いた。
「ああ、全日本柔道選手権大会ですね。僕も出たことありますけど、体重の重い人と当たると厳しいですね。ベスト8まで行きましたが、組み合わせが良かっただけですわ。」
「そうか、私、それ出てみる。できたら男子で出たいけど、あかんねんやろ。」
「さすがに男子は無理でしょう。」
秋は女子では2番目に軽い階級である。はっきり言えば重い方が有利であるから、出場者は重い階級の人が多い。というよりは秋の階級では誰も出ない。
1回戦の相手の山本は、全日本ベスト4の90kgである。この大会でも優勝候補の一角として名前が挙がっていた。山本は負ける訳がないと思った。
「ええスタイルしとるな。うらやましいな。あれで柔道できるんかな?これは勝ちやな。この大会は優勝して、世界選手権からオリンピック代表に入りたい。」
山本のコーチ佐々木はなんとなく嫌な予感がした。
「おい、山本、ちょっと待て!」
「何ですか?佐々木コーチ。」
「相手は52kg以下の優勝者だぞ。気を引き締めて行け。」
それでも山本は簡単に勝てると思っていた。
開始の合図とともに、山本は秋をめがけて突進した。秋は山本の突進をかわすと足を引っかけて山本を転がし、後ろから山本を絞めた。わずか1秒。山本は何が起こったのかわからないまま、失神した。
「さすが、師匠の締め技はすごいな。お菊も勝てなかっただけのことはある。」
2回戦の相手は世界大会78kg以上級、ベスト4の門田である。門田は山本対策はしていたが、秋の対策はしていなかった。87kgの重さを生かして潰せばいいと考えていた。足技と締め技に注意すれば、負けることはないと思っていた。
試合開始直後、突っ込んでくる勢いを利用して、そのまま山嵐で仕留めた。
準決勝の相手は、78kg以下級優勝者の小島である。この階級では素早い動きで他者を寄せつけず、いろいろな技を繰り出す。
「組もうとすると、山嵐が飛んでくる。寝技は上手く特に締め技は驚異的。」
と、小島は考えた。
「私を山嵐と締め技が得意な選手や思とるんやろな。まあ、そうやねんけど。」
「師匠、それ、大嘘やないですか。」
「バレた?でも相手にはバレてないねん。だから、山嵐のない右側から袖を取らずにせめてくるんや。ちゃんとここのところ、メモしといてな。戦術を教えようねんから。」
「で、師匠はどうするのです?」
「小島の思う通りに右側から攻めさせる。山嵐で決める。」
開始の合図とともに小島は右回りに、奥襟を取ろうとしてくる。小島が奥襟を取った瞬間、小島の体が浮きあがった。
「逆形の山嵐!俺らとやるときは時々やってたが、試合でもできるのか。」
決勝は72kg以下級、オリンピック銅メダルでこの大会前回準優勝の下山恵である。最強と言われた下山の妹である。出場を決めた時に、
「師匠、妹に師匠の対策を教えていいですか?」
「ええで、その代わり面白い試合してな。」
下山恵は秋と戦うのを楽しみにしていたが、組み合わせを見て、残念な気になった。決勝まで戦うことができない。しかも、自分はやりやすい相手なのに、秋はこれ以上ないぐらい不利な組み合わせである。だいたいが、どの選手をとっても優勝が狙える。しかし、兄は言った。
「師匠は必ず決勝まで上がってくる。」
その日から非常に厳しい練習になった。主に体幹と足運びが中心で、兄との乱取りを嫌というほどやった。
最強と言われた兄の言葉は絶対である。今まで兄の言葉を信じてやってきた。秋の試合を見ると、70~80kgある選手を秒単位で倒して来る。最強の兄に勝つという女子選手・西園寺秋とやってみたい。そして決勝で当たることとなった。
アドバイス、秋の守りを崩すのは無理。足技で仕掛けさせて、返し技を狙う。
アドバイス、山嵐が来ると思ったら抱きつく
アドバイス、寝技に持ち込んだら締め落とされる。すぐに離れる。
アドバイス、秋の技の本質はスピード。最高速でこられたら勝てない。離れる。
下山恵と秋の試合はお互いが組み合うのを嫌がり、注意を受けた。
秋は下山恵の袖を取った瞬間に、下山恵は横から抱きついた。下山恵は寝技に持ち込まずに立ちあがった。
「ちょっと面白いのがおるやん。」
秋が相手の襟を掴んだのまでは見えていた。
「あかん。離れろ!」
下山の声は妹に届くには遅すぎた。
「師匠の技が見えない。」
下山恵の体が宙に浮き、そのまま背中から落ちた。
秋がここまで粘られたのは初めてであった。
「これが、兄より強いという西園寺秋。」
「下山恵さん、よく研究しとる。最高速を出させたのは、あなたが初めてや。もっと強くなれるで。うちの練習に来る?」
そして下山恵は秋の弟子になった。
5ー4.世界選手権
「予定通り、日本一になったから、世界選手権でそこそこの成績をあげたら、オリンピックに出れるやろ。トコちゃんはええで、それが目標やからな。
私は下山恵がちょっとおもしろかった。他は日本に私と戦えるのんはおらへん。優勝したトコちゃんでさえ、私より弱いもんな。下山が練習に来てくれるさかいに、私と戦えるようになってもらおう。」
「あっ、放送席に下山兄がおる。いらんこと言うなよ。」
「あのトコロテ....失礼、深泥選手は、西園寺秋選手の弟子ということですが、2人とも全日本は全て1本勝ちしています。下山さんどうでしょうか?」
「特に西園寺選手は全員10秒以内で倒していますね。」
「西園寺選手がこちらに向かって、手を振っていますが余裕でしょうか。」
下山の顔から血の気が引いた。
「違うと思います。きっと違います。」
変なこと言ったらやられるな。今なら勝てるか?無理、勝てない。師匠の機嫌をとるコメントをしとこう。だいたい師匠に勝てるのなんておらんわ。
「西塔さん、西園寺選手はすばらしいですね。すでに日本の柔道を背負って立っていますね。」
しかし西塔は心の準備ができていなかった。
「しゃいのんち選すは何といいませうか。いいのでしょうか?」
下山から紙切れが送られてきた。
「また、池に突っ込まれたくなかったら、師匠を誉めちぎれ!」
トコちゃんは相手に研究されていたが、4倍速で動き回って優勝した。
「毎日なんであんなに走って、基礎の動きを半日もやるのかやっと理解できました。師匠の言う通りやった。堅い守りこそが唯一負けない方法だ。」
「深泥選手は基礎がしっかりできています。西園寺選手の教え方がいいのでしょう。それにしても速いですね。」
秋は、あらかたの予想通り、全戦1本勝ちだった。
「せめて恵ぐらいのがいて欲しかったわ。」
「さすが、西園寺選手は強いですね。10秒以内で全員仕留めました。」
下山恵は元々スピードがある選手だったが、この時点で2.5倍速で戦い、寝技も見違えるように上手くなっていた。
「以前の下山とは違う。速いし上手い。」
と言われ、難なく優勝した。
「恵、最近家におらんと思ったら、師匠の弟子になっとったんか。」
6.神戸オリンピック
港町神戸で開かれたオリンピックの柔道は、運動公園に作った新築の神戸武道館で行われた。秋たち3人は日本代表で出場であった。
6ー1.秋
最初は女子の52kg以下級である。優勝候補は秋だったので、各国も研究しているのだろう。みんな自信ありそうな表情をしていた。
「恵よりは楽しませてくれるんやろな。」
最初のブラジルの選手は思い切り突っ込んで来たので、足をかけて転ばしながら三角締めの体制に入った。転んで1~2秒、まいったをする前に落した。
「山本と同じやないか。もっと研究せんかい。」
次の選手は動揺したようだった。十分に組む前に投げられてしまった。
準々決勝の相手は、さすがに瞬間に倒されなかったが、秋が寝技に弱いとみて寝技に誘い込んだ。秋の寝技は速い、ふと気が付くと相手は秋に押さえこまれていた。
準決勝の相手は作戦が立てられず、どう攻めていいのか迷っていた。
迷いに乗じて秋に攻められ、簡単に勝負がついてしまった。
決勝の韓国の金選手は、技が荒く、拳を振り回して足をローキックで蹴って来た。
「おもろいやんか。」
立夏に聞えたらしい。
「秋、西園寺流はあかん。相手を殺してしまう。」
立夏の声は金選手にも聞こえたらしい。
そして、金選手と組む瞬間の技はきれいに決まったかに見えたが、技ありしか取られなかった。
「ああ、そう、そういうこと。こんなもんに金使うて、バカじゃないの。じゃ、ちょっとだけ、卑怯者との格の違いを見せたるわ。」
立ち上がった金選手を瞬間に投げて、また、立ち上がった金選手を瞬間に投げて、それを数回繰り返しても1本を取らない。秋はその都度、審判を見て、殺気を出している。
「ああぁ、秋が怒ってもた。俺、知らん。韓国の選手と審判がつるんどるのが許せんのやろ。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。せめて生きて韓国に帰ってくれ。」
審判は、倒れた相手を引きずり起して投げてをくりかえしても1本を取らない。
「助けて」
観客は静まり返った神戸武道館に金選手の声が響き、金選手は失神した。金選手が気を失っても審判は1本を取らないので、秋は失神した金選手を投げ続ける。
「1本取ったれや。」
「このままやったら死んでしまうで」
「あかん、あかん、卑怯な真似するからや。生きて、韓国に帰れるんやろか。」
秋はぐったりした金選手を相手の監督の近くに置き、監督と審判を殺気を出して睨みつけた。監督と審判は腰が抜けて立ちあがれない。金選手は介抱を受けて気が付き、続きをするか聞かれたが続きはしないと答えた。
「続きをしたら殺される。あんな選手がいるなら、もう柔道はやめる。引退する。勝ち負けじゃない。銀メダルは返上する。恐い。今まで本気じゃなかったのを本気にさせてしまった。試合でまた当たったらと思うだけで怖い。いつか殺される。私は引退する。」
「あの選手もうダメや。卑怯なことをやったから、選手として終わりや。向こうのコーチも審判も、自分のしたことがわかるのはこれからやで。」
「よかった。生きとる。」
「西園寺流が見れなくてちょっと残念やったけど、とりあえず死人が出ずによかった。」
6ー2.観客席
「お父さん、秋が優勝しましたよ。金メダルですよ。」
「見とったんやからわかっとる。それより大事なんは、どないして金メダルをもらうかや。」
「つまらん大会やったら金メダルくれるんちゃいます?」
「奪い取るという選択肢がないからのう。」
「結構面白かったですよ。反則王が出てきて。」
「深泥は普通の選手。それでも練習をすることで4倍速まで使える。そして大抵の相手には勝てる。すでに世界でもトップクラスや。」
「試合を見る限り、深泥に勝てるのは、秋以外なら下山恵だけや。下山恵は特別な能力を持っとる。ただ能力全開というわけやない。しかし、秋に勝つのはちょっと無理やな。それでもあの階級では無敵やろ。」
「秋は言うとった。『弱い者いじめみたいな気になってくるから、大会には出たくない』と。あの娘は優しい。なのに韓国選手の選手生命を絶った。生命を絶たれんかっただけ儲けもんや。これで、監督も審判もただでは済まなくなる。韓国に帰れへんかも知れへん。立夏ちゃんが止めてくれんかったら、西園寺流が見れとったやろ。秋は反則負けやろうけど、相手は良くて死亡。秋はそれほど怒っていた。」
「必ず死ぬんですか?もしかしてイノシシ相手に練習しとったんは....」
「最低でも天国、最高でも地獄。」
「イノシシは人間より強いからなぁ。それでもフラフラになっとったらしい。イノシシは多分、天国を見たんやろなぁ。」
「西園寺流を出すときの秋は、殺人者のオーラを出しまくっとるから、韓国の娘はそのオーラをまともに受け続けたんやろな。だから言うたやん。秋を怒らすなと。お前やったらオーラだけで失禁してしまうで。」
6-3.下山恵
下山恵は秋の試合を見て、殺気に背筋がゾクッとした。
「決勝でこれか。師匠は卑怯者には容赦なしか。私も師匠に負けずに全力で戦わなければ。」
恵の初戦の相手は優勝候補の筆頭にあげられてる選手である。恵も優勝候補なのだが、全日本柔道選手権大会で格下と思われる秋に負けたので、少し評価が下がっていた。恵の足運びは4倍速だが、技が多彩で寝技も上手い。守りもかなり上達している。
初戦の相手は形を甘く見ていた。恵が、
「あれ?」
というほど力の差があり、一瞬にして内股で決着が着いた。
2回戦の相手は腰が引けているので、4倍速で大内刈りで1本となった。
準々決勝のあいては突進して優勢に持ち込もうとしたが、背負い投げで勝った。
準決勝は相手に寝技に持ち込まれたが、締め技で落とした。
決勝の相手はまたも韓国の選手である。金選手の敵討ちかと思ったが、最初に放った払い腰が1本となった。
6ー5.トコちゃん
トコちゃんこと深泥心太は当然、優勝候補であった。トコちゃんの4倍速は自分でも遅いと思うほど、秋の8倍速に影響されていた。高速の足裁きについてこれる選手はいなかった。
準決勝の相手はたぶん奇襲で来ると秋に教えられていた。だから相手の奇襲に対して回り込み背後を取ると相手を倒し、締め技に移行した。相手がまいったと畳を叩こうと腕をあげたところで落とした。
決勝の相手は作戦を変更することになった。寝技は危険すぎる。高速で型を作り
一瞬で落とす。立てば高速攻撃、寝技は危険、奇襲はきかない。守り中心で後半勝負に出れば体力で勝てるかも。
試合は相手の作戦通りに進んでいるはずだった。
トコロテンは相手の重心が少し前にかかったのに気付いた。後ろに押し込んでまた前に重心がかかったところで、4倍速の山嵐を仕掛けた。相手はそれを腹ばいで受けた瞬間、トコちゃんの腕が後ろから襟を掴む。
「しまった。締め技....か....」
トコちゃんは立ち上がって秋を見て、深々と礼をした。
7.マラソン
「師匠、これからどうするんですか?みんなで祝勝会しませんか?」
「多分、私の家で祝勝会の準備しとうと思うねん。」
「私まだ未成年やねんけど。」
と立夏が言った。
「見るからに、そうですな。」
「まあ、食べる方で頑張ってな。」
「明日から練習ですか?」
トコちゃんが訊いた。
「いや、2日間は休みや。」
「なんでやのん。練習好きやのに。」
「恵、関西弁になっとうで。」
「東京って走れるとこ少ないやん。あちこちのマラソンの大会に出よってん。3~4回大会に出たら、なんか招待されるようになってもてん。それで、グランドチャンピオンなんとかいうのんにも招待されて、勝ってもてん。それで気が付いたらマラソンも日本代表になっとんねん。」
「なっとんねん言うて、どのぐらいのタイムで走っとったん?」
「ジョギング程度やねんけど、2時間12分ぐらいかなあ。」
「いやいや、そのタイムなら負けたことないやろ。」
「なぜか誰もついて来ないんや。」
「そりゃ、ついて行かれへんのや。日本最高より速いがな。」
「日本最高言うて、2時間18分ぐらいやで。」
「あさっては普通に走ってみるわ。世界最高を狙うで。」
「世界最高は2時間11分50秒ぐらいや。」
「いや、嘘やろ、軽く抜けるで。金メダルとったらじっちゃんにあげるわ。柔道のんはあげへんけど。」
「秋、ほんまか。お前はええ娘や。」
「勝てんかも知れへんで。」
スタートしてすぐ秋はいつもより少し速いペースで飛び出した。差がどんどん開いていく、秋が見えなくなって、アフリカの選手に引っ張られるように、第二集団がスピードを上げた。日本の代表の野田と桃谷は秋に、言われた。
「私を追いかけたら負ける。ペースを崩さず走れば、銀メダルと銅メダルがとれる。私に勝つつもりなら追いかけてもええけど。後半のアップダウンで勝負に出るのがいい。」
野田と桃谷は第二グループから200mほど離れていた。
第二グループはいつまでたっても秋が見えてこないのであせっていた。秋は彼女らより速いペースで走っているから、追いつくわけがない。第二グループのペースがまた上がったがついて行けない選手が続出した。第二グループと第三グループとは400m近い差がついていた。折り返し地点では、野田と桃谷は5位・6位あたりである。ここからコースは山麓へ向かうので、差がよくわからない。山麓のアップダウンが続く厳しいコースである。秋はアップダウンコースには慣れている。ここまで無理をしてきた第二グループが一気に減速、みんなジョギングぐらいのスピードになってしまった。野田と桃谷は秋の言うように体力を温存していたため、なんとか第二グループに追いつき、ついに追い越した。
携帯を見ていた、観客の人が言った。
「西園寺が優勝した、1時間58分40秒 男女の世界最高記録更新」
「せめて、銀メダルを。」
「私も負けない。」
野田と桃谷はもつれるようにスタジアムに入ってくると、抜きつ抜かれつ最後の力を振り絞って、同時にゴールテープを切った。2時間16分22秒、写真判定でも決着が着かなかったため、同時着ということで2人とも銀メダルとなった。野田と桃谷は泣きながらお互いの健闘を讃え合った。
「これも何か弱い者いじめした気がするなぁ。外国勢なんか私の思惑にみごとにひっかかったもんな。そやのに同時着とかで、最後にええとこ持っていかれてもた。もう、オリンピックは出んとこ。」